今この記事を読んでいるそこのあなた。
多少は建築に興味をお持ちですね。
あらやだ今回は丹下健三さん。
段平や左膳や桜にあらず。
日本の近代建築界の頂点に君臨する帝王にして
世界に名声を轟かせる人間国宝級偉人!
“建築界のノーベル賞”といわれる
プリツカー賞を1987年に
日本人で初受賞!
2025年3月で没後20年とのこと。
こんなオチャラケたブロ愚で取り上げるなど恐れ多いのですが、意を決して果敢に斬り込みます。
段平に殴られ左膳に斬りつけられなきゃいいけど・・・
訪問記
2019年4月GW。
マイカー(死語)で大阪のマイ実家に帰省、その足(タイヤ)で愛媛のマイwife’s実家に向かいます。
その道中で淡路島の南端に位置する「若人の広場公園」に寄り道。
丹下作品の中では怒級のマイナー建築の存在はマイ愛読書👇で知っていました。
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駐車場にマイカー(死語)を停め、建物へのアプローチを歩いていると見えてきたのは荒々しい石垣。
何ここ?城郭をリニューアルしたの?
そんなことを考えつつ建物に近づくと、荒々しく積み上げた石の壁にこれまた荒々しい打ち放しコンクリートの屋根が架かっています。
城郭再利用ではなく明らかに新築物件ですなぁ。
中の様子は殺伐というか寒々しいというか。
コンクリートの型枠に杉板を使う本実仕上げは洗練された美しい表面の印象がありますが、ココの柱はなんだかワイルドな雰囲気。
日本の伝統美を近代建築に巧みに取り入れた、ダイナミックながら洗練された建築の泰斗たる丹下先生のイメージに合いません。
何ここ?ホントに丹下建築?
どうやら旧称「戦没学徒記念若人の広場」にヒントがありそうです。
大東亜戦争末期、学徒動員の末に散っていった二十歳前後の若者たちを慰霊する目的で作られた広場。
丹下先生の人となりは存じ上げませんが、代表作の広島平和記念公園から原爆ドームまで一直線に貫く軸線には並々ならぬ平和への希求を感じます。
1913年生まれの丹下先生は戦没学徒たちの一回りほど歳上の世代。
日本の次代を背負って立つはずだった前途有望な若者たちが無念の死を遂げたことに、強い怒りと失望を感じておられたのかもしれません。
その想いがマグマの如く噴き出していると考えれば意外な作風にも納得がいくってなもんです。
建物を出て記念塔に向かいます。
荒々しい石塀に囲まれた細い橋を渡り、緑のトンネルを潜って辿り着く記念塔。
一転して滑らかなコンクリート打ち放し仕上げのダイナミックながら洗練された丹下節が見られます。
建物に戻って中の展示を鑑賞。
我々ポンコツ夫婦行くところ十中八九残念なドン曇りですが、ココに限ってはこれでよかったかなぁ。
散って行った若者たちのことを考えると、とうてい晴れやかな青空のような心境にはなれませんから。
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基本情報
若人の広場公園(戦没学徒記念若人の広場)
設計:丹下健三
竣工:1967年
場所:兵庫県南あわじ市
訪問:2019年4月
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