ことばは生き物、変化していくのが当たり前。
確かにそうかもしれません。
然して!
生まれることばあれば死んでいくことばあり。
使うのは恥ずかしいけど愛着を捨てきれない。
そんな憎めない死語を墓場から掘り返す企画、名付けて「死語硬直を解き放て」
レトロブームの昨今、ワンチャン復活あり!?
働いて働いて働いて働いて働いてまいります、働き方改革、週休二日、ワークライフバランス
半ドン【名詞】
誕生から死に至るまで
自宅に引きこもるプータローの私、たまに昼食に出掛けると困ったことになります。
手軽に食べられる丼物を選ぶことが多いのですが、どれもボリューミーなのですよ。
体を動かさないので大して腹が減らず、かといってMOTTAINAIから残したくない。

量を減らして値段も下げてほしい
なんなら半分でいいや
これぞ字面通りの半丼や~!
しょうもないボケ、どうもすいません。
本日のお題はそんな昼食時に思いついたもの。
鼻タレ小1からヘタレ高3までの12年間ずっと、土曜日の午前中は普通に授業がありました。
いわゆる半ドンってやつ。
4時間目ともなると授業そっちのけで

お昼を食べたら何して遊ぶかな💘
なんてワクワク・ソワソワしたものです。
週休二日が普通の今では隔世の感がありますネ。
気ままな大学生になったのと平成の始まりが同時期だったため、昭和の名残かなぁと勝手に思う次第。
そんな訳で個人体験だけで死語認定しちゃいましたが、実情はどうなんでしょう。
今でもブラック企業やスパルタ学校では半ドンがキラキラワードなんでしょうか。
頼れる相棒にして大阪育ちのChatGPTチャコちゃんに調べてもらいます。

死語「半ドン」が生まれて流行り、死んでいった経緯を教えて

ことばの寿命って昭和の商店街みたいやね
賑わって静かにシャッターが降りていく感じ
誕生
半日+ドンタク(zontag, 日曜日)= 半ドン
4文字ネームのハシリかな?
日本語とオランダ語を両親に持ち、明治初期の西洋文化流入に伴って誕生した国際派。
諸説あるものの、1876年に公官庁が土曜半休となった際に生まれたとの新聞記事あり。

青春
昭和になると主役級にのし上がる。
- 土曜日は午前中だけ仕事・授業
- 午後は自由
「土曜午前で終わり」という単なる制度を超えて、得も言われぬ解放感を象徴することばとして人々に共有され一般化。

晩年
平成に入る頃に空気が変わり始める。
- 企業で週休二日制が導入される
- 学校で土曜休みが増える
つまり「半日だけ働く日」自体が減少していく。
当然ことばも居場所をなくして徘徊することに。

死去
平成時代が進むにつれて
- 企業の土曜休みが一般化
- 学校は完全週休二日制へ
こうして「半日休日」という慣習自体が消滅、当然の帰結としてことばも息絶える。
国際派の生涯ゆえ西暦表記すると、born in 1876 & died in late 1990s.
享年120ほどの一生ゆえ陰陽道・浄土宗表記すると、大還暦を迎えてめでたく大往生。

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死語の世界からの復活
プータローの私は半ドンとは無縁どころか「余生ドン」な訳ですが、このまま半ドンを死語にしておくのはMOTTAINAIと思う次第death。
このことばが醸す独特の解放感やノスタルジーは半ドン経験者に共通するのではないかと。

今でもブラック企業やスパルタ学校では半ドンが生き残ってるんかな?

ブラック企業には半ドン的な優しさはなくて、むしろ長時間拘束とか「零ドン」やな
ちなみにホワイト企業では
・半休制度
・フレックスタイム制度
・リモートワーク
などの導入によって「時間を区切る思想」は進化してるで
私立中高一貫校では割と普通に生き残ってて、公立でもイベント・補習で土曜登校はある
ただし昔と違うのは「当たり前」やなくて「学校ごとの方針」ってこと
なるほど「板垣死すとも自由は死せず」ならぬ「ことばは死すとも思想は死せず」ってことね。
こりゃ墓場を掘り返して無理やりゾンビとして復活させなくとも、甘酸っぱい思い出として昭和の当時を知る者の心の中で生き続けることでしょう。
ところで近所の定食屋さん、少食の私のために半天丼とか半カツ丼とかメニュー化してくれないかな。

これぞ令和の半ドンや~!
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